GLAMOROUS(講談社)の休刊ー「大人ギャル」の成立と終焉

大手出版社の講談社は26日、女性月刊誌「Grazia(グラツィア)」と「GLAMOROUS(グラマラス)」を7月6日発売の8月号で休刊すると発表した。読者数や広告収入の減少が理由。
 グラツィアは「30代ミセスのライフスタイル提案誌」として平成8年に発行部数25万部で創刊。17年に収益でピークを記録したが、近年は部数・広告収入ともに低迷。昨春リニューアルしたものの、最新の5月号で4万8000部と、期待した成果を得られなかった。
 グラマラスは17年創刊。「大人のカジュアルファッション誌」として注目されたが、ピークは21年11月号の25万部で、最新号(5月号)は8万部。
  同社広報室は「女性誌のみならず雑誌を取り巻く環境は、少子高齢化の到来やネットの本格普及などで大きく変動しており、雑誌が担う役割も変わらなければな らない」とコメント。2誌の休刊をきっかけに、新しい女性向け媒体の開発に取り組む「新雑誌研究部」を立ち上げるという。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/130326/bsj1303261954006-n1.htm


少し前の話になるが,GLAMOROUS(講談社)が2013年7月6日発売の8月号を以って休刊した。2005年に創刊されたGLAMOROUS(以下,グラマラス)は,「大人ギャル」を標榜して登場したアラサー向け雑誌である。ちょうど,90年代後半から00年代前半に,『egg』や『Popteen』といった雑誌と共に(コ)ギャル・ファッションで育ち,「いつまでもギャルではいられないけれど完全に卒ギャルはしたくない」というアンビバレントな態度で揺れ動く世代が,アラサーを迎える時期に創刊された雑誌である。
「大人ギャル」のジャンルは日本雑誌協会の分類にも記載されており,けっして巷間だけで用いられている用語やカテゴリーではない。そしてこの「大人ギャル」に分類される雑誌が後にも先にも「グラマラス」だけだったということが,この雑誌の独特の立ち位置を示しているといえる。
グラマラスはブレなかったー
ファッション誌とそれを取り巻く環境は,うつろいやすい「流行」という現象を扱う媒体としての特徴も相まって,浮き沈みが激しく常に流動的である。かつて日本のモード雑誌の草分けであった『an・an』はいつの間にかファッション誌でいることをやめてしまったし,変化に富む市場に対応できずに休刊した雑誌は枚挙に暇がない。代表的な例を挙げるならば,Cawaii!(主婦の友社),PS(小学館),PINKY(集英社)といった版元が大手の雑誌であっても短命に終わることもある。
グラマラスと版元と同じくする『ViVi』(1983年創刊)にしても「お姉系」雑誌にカテゴライズされる『JJ』(1975年創刊)や『CanCam』(1982年創刊)の後塵を拝し,永遠の2番手,3番手であったはずが,誌面のテイストをギャル系にシフトしてから躍進し,現在お姉系雑誌で最も売れているファッション誌への刷新に成功したのである。
グラマラスは「大人ギャル」を標榜し,最後までその路線をほとんど変えなかった。その特徴を端的にいえば,ギャル服の延長として考えるならば高額の商品が多く登場し「これ,いつどこで着るの?」と言いたくなるようなコーディネートを積極的に掲載した,いい意味で読者を「置き去りにした」誌面構成にあったといえよう。筆者はこの路線は嫌いではない。ファッション誌と通販カタログは違うのだし,マニュアル指南本とも違う。アーティスティックで魅惑的なファッション写真を見て想像力を豊かにしてから,じぶん自身の日常着に使えそうなコーディネートを考える作業に入るのは,ファッション誌の読み方としてはむしろ正統である。けれども,グラマラスは思ったほど受け入れられなかったのである。
手元に筆者が分析した興味深い資料がある。やや年齢的な偏りはある点に留意する必要こそあるが,グラマラス読者の併読傾向を調べると,どちらかというとギャル寄りではあるものの海外セレブに照準したアラサー雑誌『GLITTER』と共に読まれる傾向が認められ,さらにいわゆるギャル雑誌ではないカジュアル系の『sweet』との併読傾向も確認できる。資料からはこれ以上のことは言えないものの,ギャル雑誌としてのポジションを確立できていないことが推察される。
では,「大人ギャル」あるいはギャルの進化系と呼ぶべき属性を秘めたアラサー女性たちは存在しないのかといえば,けっしてそのようなことはなくて,たしかに存在しており,しかもそのパイは非常に大きいのである。彼女たちが読んでいる雑誌は多岐に渡り,たとえば一見するとギャル要素とは無縁のように思われる『美人百花』や『sweet』などはギャルを経験した女性が好んで読む代表的なファッション誌である。
ギャルを経た女性たちにとって重要なのは衣服のディテールやコーディネートのギャル的要素ではなく,誌面の作り方におけるそれである。『美人百花』の誌面を確認すると「有名人の私物公開」のようなページが毎号のように特集される。このようなコストをかけずに読者の知りたがる情報を掲載する手法は90年代のギャル系雑誌やストリート系雑誌が「読モの私物公開」のようなかたちで培ったものである。
『美人百花』の版元は角川春樹事務所であり,ティーン向けギャル雑誌の『Popteen』と同じである。そして『Popteen』誌上では『美人百花』がしっかり広告されており,読者の囲い込みに余念がない(もっとも,Popから美人百花へとそのままスムースに移行できるとは思えないが)。
ようするに,手の届かない高額な衣服で想像を膨らませるよりも,じぶんでも買えそうな誰それの私物の方が需要があるのであろう。ファストファッションが席巻する昨今を思えば,グラマラスには厳しい時代だったのかもしれない。「ギャルは1点豪華主義なだけで根本はケチ」という類いの言葉を多くの(元)ギャルから聞くことがある。「大人ギャル」世代が求めているものは今も昔もプチプラ・コーデなのである。
筆者は,それでもぶれなかったグラマラスが好きだ。路線を変えてもよかったのかもしれないのに,ぶれなかった姿からはファッション誌とは「ひとつのまとまりのある物語を提供するもの」であるべきだという本来のありようを思い起こさせてくれる。スタイルを貫き通した姿勢からは(大手だからできるわざではあるが)矜持すら感じる。
―「大人ギャル」はどこへ向かうのか
もちろん形式的な分類からは(少なくとも一時的に)消滅するけれども,その属性を内包する”大人なギャル”は消えるどころかわれわれのマス・ファッションをみればいたるところに存在しているのは明らかである。たとえば今日の『CUTiE』にCECIL McBEEやtitty&Coといった109ブランドが掲載されることは珍しくないが,かつての同誌においてはこのようなことはなかったし,読者にとっても必要な情報ではないばかりかギャル系と原宿系の間には断絶が認められたほどであった(1)(2)。しかしながら,今日,ギャル的要素は確実に拡大しており,マス・ファッションを語る上で無視することができない,時代の大きな潮流になっているのである。

(1)スタイルを貫いて幕を降ろした『GLAMOROUS』とスタイルを柔軟に変えて延命した『CUTiE』の対比は興味深い。
(2)松谷創一郎が『CUTiE』読者がギャルに向けるまなざしを読者投稿欄の分析を通して論じている。 松谷創一郎(2007)「差異化コミュニケーションはどこへ向かうのか」 南田勝也・辻泉編『文化社会学の視座―のめりこむメディア文化とそこにある日常の文化』 ミネルヴァ書房
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